伊勢角屋麦酒ブログ

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連載 伊勢角屋麦酒20年 その2 夜明け前

1994年(平成6年)、伊勢市ではまつり博・三重94が開催され、11月初めに盛況のうちに幕を閉じた。この年の6月に、それまで父の個人商店であった二軒茶屋餅を法人化し、会社の専務になったばかりだった当時26歳の私はやたらと燃えて、やみくもに動き回っていた。創業以来400年以上の歴史を持つ二軒茶屋餅を商ってきた家族だとはいえ、その規模においても経営技術においても会社とは名ばかりで実態は最小単位の家族経営だったが、私はなんとかこの生まれたばかりの会社を盛り立てて発展させていきたいと無性に燃えていた。今にして思えば、大学を数年前に卒業したばかりのはなたれ小僧だったわけで、勿論それまで経営らしいことは何一つしたことは無く、全く行き当たりばったりで、目につくもの片っ端から手を出していたわけで、この年も伊勢市でまつり博が開催されるとき聞きつけて一も二も無く出店した。

7月、せみ時雨とともに始まったこのまつり博は、初めの内こそ客足は鈍かったものの、伊勢市役所はじめ関係各所の必死の努力の甲斐もあって、秋風が吹くころから急激に客足を伸ばし、閉会が迫る9月半ば以降からは連日の大盛況であった。そして、延べ351万人の入場者を記録し、盛況のうちに108日間の会期を終えた。

父からこのまつり博会場での臨時出店について一切を任されていた私は、店舗の立ち上げからアルバイトの採用、コンセプトつくりから商品企画、清算から事後処理まで全てを行うことができた。小さいながらも事業の初めから終わりまでのすべてを自ら行えたとてもいい訓練であった。毎日、早朝から餅屋の本店で商品の準備を行い、開店から閉店まで店を切り盛りし、そして、また、自宅に帰って清算業務を行いと、何もかも自分の裁量で行ったこのまつり博は私にとっては、大きな達成感を与えてくれた。そして、悩んだ末に投入した新商品がヒットしたことでそこそこの利益を出して終えることができたことが大きな自信になった。

11月、会期を終え、数日間の間は店舗の撤去や処理業務を行い、すべてが終わった後には、達成感とと共に、なんだか心にぽかんと穴が開いてしまったような気持ちになった。

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